播州西脇成田山は
    
兵庫県内唯一、千葉成田市成田一番地の
「大本山成田山新勝寺の直系直末」です


  (大本山成田山ホームページで掲載されている「全国の成田山」が正統成田山です)
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播州成田山法輪寺

播州成田山法輪寺は、此処西脇の聖地に古来より培われてきた不動尊信仰を集結し、昭和25年、大本山成田山新勝寺貫首猊下より末寺建立の直許を得、成田山新勝寺の御本尊、成田山不動尊を勧請した県内唯一の大本山直末の成田山分院であります。以来、近隣に類い希なる不動尊信仰霊場として発展を遂げ、交通安全・家内安全・災難消除・厄除け・開運招福等々の御利益を授かろうと参拝する多くの信徒様で賑わっています。

また、生駒山宝山寺から聖天尊・十一面観世音菩薩が勧請祭祀され、インド・ブッダガヤ大菩提寺の大塔を模した高さ23メートルの釈迦塔には、大菩提寺よりお迎えした木彫釈迦如来像・仏舎利・釈迦生誕場面の石彫石版・全長3メートルの金色釈迦涅槃像が祀られ、本堂裏には大橋良三画伯作の胎蔵界大日如来と七福神、他境内には十二支守り本尊、子授け安産子安地蔵尊、一願成就鎮守大神、清瀧大権現が祭祀されています。

近年ではネパール様式で三層からなる法輪閣が建立され、御祈祷御本尊として新たに立像不動明王像を大本山成田山新勝寺にて開眼、正式にお迎えし、日々諸願成就の祈願を行っております。春には桜、初夏には沙羅の花が咲き乱れ境内を彩り、参拝者の目を楽しませています。


             法輪閣               本堂


日本一の不動尊信仰の霊場「成田山」

播州成田山法輪寺の本山となる千葉県成田市の大本山成田山新勝寺は、天慶3年(940年)寛朝大僧正によって、開山されました。寛朝大僧正は、朱雀天皇より平将門の乱平定の密勅を受け、弘法大師が敬刻開眼された不動明王を奉持し難波の津の港(現大阪府)より海路を東上して尾垂ヶ浜(千葉県 山武郡横芝光町)に上陸、更に陸路を成田の地に至り、乱平定のため平和祈願の護摩を奉修し成満されました。大任を果たされた大僧正は再び御尊像とともに都へ帰ろうとしましたが不思議にも御尊像は磐石のごとく微動だにしません。やがて「我が願いは尽くる事なし、永くこの地に留まりて無辺の衆生を利益せん」との霊告が響きました。これを聞いた天皇は深く感動され、国司に命じてお堂を建立し「新勝寺」の寺号を授与し、ここに東国鎮護の霊場として「成田山」が開山されました。そして現在、成田不動信仰は日本全国に広がり、この西脇の地にも至り播州成田山法輪寺が建立されました。

            釈迦塔             釈迦涅槃像


ご本尊不動明王

大本山成田山新勝寺の御本尊不動明王は、平安の昔、瑳峨天皇の勅願により、弘法大師が一刀三礼(一刀彫るごとに三度礼をする如く)敬虔な祈りを込めて敬刻開眼された御尊像と伝承されています。開山以来1070年の間、護摩供の香煙は一日たりとも絶えることなく、その輝かしい法灯を護持継承し、わが国不動尊信仰の随一祈願道場として、数多の信仰をあつめています。その霊験利益は数限りなく、今日では年間1000万余の全国信徒の参詣をお迎えしています。

 そしてこの歴史ある有り難い不動明王の御分霊を頂きお祀りしているのが播州成田山法輪寺です。播州成田山ご本尊不動明王は、大本山成田山の平和の大塔建立の際、現在の大仏師、松久宗琳氏が大塔ご本尊不動明王(高さ6メートル・木彫)の原型として制作された不動明王像で、大本山成田山と播州成田山にしか存在しない非常に貴重な御尊像であります。そしてこのご本尊不動明王は、大本山成田山の大本堂に於いて、第十八世松田照應貫首猊下によって直々に入魂開眼を賜り、東海道を何処にもよらずにその日のうちに西脇市までお迎えしたもので、県内外にも例がない大本山成田山直々の御分霊であります。

本堂不動明王 生駒山大聖歓喜天


全国でも有名な「身代わりお守」

 江戸時代の文政12年(1829年)に竣工された大本山成田山新勝寺仁王門の上棟式当日のこと、大工の辰五郎は誤って足場から転落してしまいましたが、職人に渡されていた成田山の焼き印を押した手形が真っ二つに割れ、本人は不動明王のご加護により怪我一つ負うことなく助かりました。以来この焼き印を押した手形札が「成田山の身代わりお守」として今日に語り継がれ多くの信徒様に親しまれております。この有り難い「身代わりお守」は、近隣では大本山成田山直末である播州成田山でしか授かることはできません。

成田山身代わりお守 沙羅